贈与の謎

2001年7月24日
暑い暑い。
道行く人だれもかれも、「こんにちは」という言葉を忘れてしまったかのように、「暑いですねえ」と言い合っている。

お昼、クさんと2人で学食へ行く。だいたい人と一緒だと食欲が出るのだが、今日はほんとに暑くて食欲が出ない。
無理して、クさんはきしめん、コペは冷やしたぬきうどんを食べた。

その後、ひとつストレスフルな仕事を片付けた。
「理論と方法」誌の編集委員に対して、審査経過についての疑問があったので、抗議文というわけではないが、意見を述べた手紙を送ったのだ。
まあ、あまり効果はないと思うが、かなり礼儀正しく書いたし、悪いことにもならないだろう(と思う)。

室伏哲郎『贈る論理・贈られる論理』(ちくま文庫)を探しに、学芸大学駅前に行った。
PTSDについて考えているうちに、「交換」とは異なるエコノミーが気になってきたのだ。
暴力的な被害とその埋め合わせは、合理的なコミュニケーションでは処理しきれず、性急に合意による解決を追求すると、かえって後から問題が再燃したりする。
建前上の解決が、解決にならないという捩れ。これは、戦後補償の問題でもあり、PTSDの問題でもある。
これはじつは暴力の反対に、「贈与」にも当てはまるのではないか。たとえば、ある人がある土地に対して、ひじょうに献身的な管理を長年、続けていれば、たとえ手続き上の正統性がなくても、その人を無視して相続を決めることは、後々に遺恨を残すだろう。
贈与と略奪は、「気持ちの等価交換」ともいえる「合意をめざすコミュニケーション」に、消し去れない歪みを与える。

しかし、こういうときに限って、よく見かける『贈る論理・贈られる論理』は見つからない。
でも代わりに、もっと欲しかった本、

1)ゴドリエ『贈与の謎』(法政大学出版局)

が見つかった。「本とうです」にて。ネット古書店より安かった。

その他、ブックオフで

2)内田雅敏『「戦後補償」を考える』(講談社現代新書)
3)『論争・中流崩壊』(中公新書ラクレ)

を買った。後者は、佐藤俊樹をはじめとして、中流崩壊論争にかかわる雑誌論文を集めた便利な本。

夜、王さんと100円ショップへ。
その道すがら、閉店したけどまだシャッターを下ろしていない"Pixies Pin"を見たけど、ドアを閉めたお店が、えらくかわいく見えた。
こんど写真を撮ってHPに載せねば。

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