「あつまれじゃんけんぽん」再放送。
キャンディーのオーバーオール姿がかわいい。
普段わりとお嬢系オシャレのキャンディーがオーバーオール、
その意外性がこれまた良い。
コペはオーバーオールに弱いのです。
やはりロリコンだからだろうか。嗚呼。
当然、「いってみようやってみよう」のゆかちゃんにも弱いし、
「ポリアンナ」や不二家ペコちゃんの赤いオーバーオールにも弱い。

昼、ひさしぶりに薮で。甘塩鮭定食。全体にややしょっぱすぎ。

日月堂にて、ガルブスレイ『不確実性の時代』(TBSブリタニカ)を購入。200円。
ま、すぐ読みたい本じゃないんだけど、200円だし。

研究室に、新M1のKくんが来た。
フーコーとか言ってるし。師匠は現象学らしいし。
コペとしては心強いが、苦難の道である。

ちょっと発見をした。一言で言えば:
「うさぎ」は「うさ」というが「ライオン」は「ライ」とはいわない。

「うさぎ」は「うさ」と略すことができる。ふたつ重ねて、
「うさうさ」と言ってもかわいい。「うさ公」「うさぴょん」等もある。
さらに、妙なアニメのキャラクターのように、語尾につけてもイケル。
「そんなの知らないウサ。」
「いっしょに行くウサ。」
うん、イケル。
葉月幹人『うさと私』(新風舎)という詩集もあるし。
(もっともこの詩集の「うさ」は、語尾ウサではなく、きゅーと鳴くのだが)

ちなみに、「たぬき」も「たぬ」と言える。「たぬたぬ」でも良い。
『うさと私』の著者に、あの続編出したらどうですか、と尋ねたことがあるが、
じゃあ『たぬと私』でいくか、とおっしゃっていた。

が、しかし「ライオン」は、「ライ」とは略せない。もちろん「ライライ」もダメ。
「からす」も「から」と略したらなんのことやらわからない。

「うさぎ」「たぬき」と「ライオン」「からす」の違いは、なんなのか?
こう考えたら、どうだろう。

「ライ」「から」という言葉のピースは、他の文字列と結びついて、他の意味に転用できる。
この場合はとくに、この読みをする漢字があるので、なおさらである。
「来」「雷」、「空」「唐」。
「来年」「ライチュウ」、「空炊き」「唐揚げ」などなど。
そのため、「ライ」「から」と略しては、意味が多義性を帯びてしまい、固有性が
失われてしまうと考えられる。

「うさ」「たぬ」の場合、これらの言葉のピースを用いた普通の言葉は、あまりない。
ためしにIMEで変換してみると、「憂さ」「宇佐」ぐらいで、「たぬ」に至っては
まったく出てこない。
そのため「うさぎ」の「ぎ」、「たぬき」の「き」を取っても、もともとの意味の
固有性がたもてるのではないか。

さて、言葉がラカンのいう象徴界のものとして使用されるときは、シニフィアンは
それがもともと習得された場面での想像的意味から引き離されて、他の語と結びついて
使うことができるようにならなければならない。
たとえば、「チイサイ」という言葉が、「おまえは背が小さいからもっとごはんを
食べなければならない」という意味で習得されたとき、その場面の情動的な負荷、
「ごはんを食べて大きくなること」という意味との結びつきがあるが、この言葉が
言語記号としての自立性を獲得するためには、その結びつきを離れて、たとえば
算数の授業で「3は5より小さい」という結びつきを理解できるようになる必要が
ある。
(参考:アニー・コルディエ『劣等生は存在しない』情況出版)

これを逆さに考えると、多義的使用へあまり開かれていない「うさ」「たぬ」等の
言葉の破片(「言の端」としての言葉)は、想像的な意味が強く残存している、
つまり情動的な負荷を担った言葉だと推察できる。
「うさ」「うさうさ」「そうウサ。」と言うときの、妙な楽しさは、そのためであろう。
これは詩にも使用可能なはずで、松浦寿輝の詩集「ウサギのダンス」に、
次のような一節がある(うろおぼえ)。
「あまりにもうさぎられた うさがれた光景だ」

ところで、うさぎと言えば、ファンシーキャラクターの定番。
サンリオで言えば、コペは、マイメロよりもマロンクリームが好き。
キキララ・ポチャッコと並ぶサンリオ3大キャラクターである。
マロンクリームは、背景デザインが良いものが多い。
きのう蒲田のサンリオでめちゃかわいいマロンクリーム巾着を
見つけたけど、買っても使わないので、見て帰ってきた。400円也。

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