自由が丘の古本屋で
小林修一『メディア人間のトポロジー』(北樹出版)
を衝動買い。
これが、かなりのヒット。
視座の据え方が私と非常に近く、読んでいて
頭がすっきりと整理されていく。

緑ヶ丘図書館で借りた本:
・土屋新太郎『キャラクタービジネス』(キネマ旬報社)
・電通キャラクター・ビジネス研究会編『キャラクター・ビジネス』(電通)
・ゼブロウィッツ『顔を読む』(大修館書店)
・ブル、ラムズィ『人間にとって顔とは何か』(講談社ブルーバックス)
いずれ取り組むつもりの「キャラクターの
社会学的研究」のための下調べである。
<顔>もその関連で。


さて、数日前ETVの「あつまれじゃんけんぽん」の
最終回を見た。
(といっても再放送であり、もう見たことが
あったのだが)

そのなかで、キャンディーが、ふくろうのホーさま
と会話するシーンがあるが、これがじつに良い。
自分の国に帰れることになったキャンディーは、
1年間お世話になった友達に感謝の気持ちを伝えたい
ということを、ホーさまに話すのだが、ホーさまは
それにダイレクトに応えずに、「暖かくていい天気
じゃ。」みたいなことを言うのだ。
キャンディーは「ホーさま、わたしの話、たいくつ?」
と尋ねるのだけど、この言い方が、すねてるでもなく、
怒ってるでもなく、とても印象的だ。
ホーさまへの信頼感にのっとった上で、「わたしの話、
たいくつだったかなあ?」と自分に問いかけている
ようでもあった。

つづけてホーさまは、ぼんやりと独り言のようにして、
1年前キャンディーが来たときは、「ありがとうの花」
が咲いていた、と言う。
それを聞いたキャンディーは、記憶をたぐるようにして、
「ありがとうの花?ああ、おぼえています…」とつぶやく。

はじめキャンディーの言葉がホーさまにとどかないかと
思っていたら、そのあとキャンディーに投げられた
言葉は、まっすぐなこたえではなかった。
いわば、横からポンとひと押しして、それに意表を
つかれたキャンディーが、「今のはなに?」と考える
ひと呼吸の間を置いて、忘れていたことを想起したのだ。
この間合い。

キャンディーがホーさまに話しかけたとき、たぶん
なんとはなしに期待していたことから逸れたところで、
キャンディーはなにかに気づくことができた。
だから、キャンディーは走り出したのだろう。

ところでこの効果、脚本だけでは生れないと思う。
演出家でもないのに偉そうなことを言うようだが、
こういう人形劇がいい話になるかどうかというのは、
脚本だけではないだろう。
おそらく、脚本にそって人形が動き、声がついた
かたちで作品になることで、それぞれのキャラクター
の性格や、他のキャラクターとの関係に、
製作者の計画を超えた部分のリアリティが現われてくる。
そうした偶発的なリアリティの芽を、脚本家なり、
声優や人形操作の人がキャッチして、つぎの動作・
つぎの話に反映できるとき、物語世界が自律的な
リアリティをそなえるようになっていくのだろう。

ETV教育番組のドラマは、プロの俳優やタレントを
つかった番組とちがって、タレントのキャラクター
にたよって番組のカラーを出すわけにはいかない
ために、作品世界が自律したリアリティを持てるか
否かという点は、番組の出来にひじょうにシビアに
かかわってくるのではないかと思う。

で、「あつまれじゃんけんぽん」の話に戻ると、
この最終回のような「脚本だけではできない
印象的なやりとり」が可能だったのは、じゃんけん
ぽんの製作者が、それだけ作品世界に固有の
リアリティにコミットしていたから、言い換えると、
それだけ作品に愛情を込めていたことの証しでは
ないかと、思うのです。

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